不毛な文系理系論争から繋がる、現代日本の生きづらさ
こんばんは。
人生の夏休みを、体力回復に費やしてる京都のひつじです。
年内は割とゆっくりしたいな…。
今回は、友人のツイートを見て感じた、文系理系論争の不毛さについて考えたいなと思います。
その友人のツイートというのは、おおまかに「文学は、作品に触れることを通じて"違い"や"他者"を疑似体験し、許容し尊重できるようにするものだ」というようなものでした。
それを読んで、たしかに、「技術は目に見える生きやすさをつくり、思想は目に見えない生きやすさをつくること」を目標にしているな、と思いました。
下記の記事にもあるのですが、日本人は、"思想"の教養が少ないのかもしれないなと感じています。言い換えるなら、他者の多様性への理解力が低い。
もちろん、全ての人がそうであると言うつもりはないです。
けれど、いわゆる普通の社会のレールから外れた人は、様々な場面で排斥されていることは、事実としてあると思います。
納税してなければ社会で生きる価値がない、なんて平気で言う人がいる世の中って、どうかしてませんか?
その、今現在納税していない人が、今後重要な社会課題に取り組む人になるかもしれません。また、そんな大それた事でなくとも、その人が生きていく事で、近くにいる人に喜びを与える存在になれるかもしれません。
私は、最も価値あることは、自分自身に(無条件で)価値があると信じた上で、周りの人(他者)が喜ぶように取り組むことだと思います。
その論理でいくと、「おまえには価値がない」と何の躊躇いもなく他者に言える人は、僕の価値観の中では最も価値の低い人のひとりになると思います。
何より、他者にそのように言う人は、自分に無条件で価値がある、と信じることができない人なのではないでしょうか。
自分が出来ている事で、他者が出来ていない事に目をつけ、そこを批判する事で、自分に価値があるはずだと言い聞かせている。
(その目的に反して、自分の価値を貶めていると僕は思いますが…。)
何にせよ、理想的なのは「可能な限り多くの人が、充実感、幸福感を持って暮らすこと」であり、目的は決して「納税すること」でも「生きるために他者を傷つけることが必要とされる社会にすること」でもないと思うのです。
こんな少女がいます。
この少女のツイッターは、現在削除され、どうなっているかはわかりません。
戦争に巻き込まれている国は大変だな、と思われますか?
この少女を助けられるものなら助けたいと思われますか?
もし、そう思われるのでしたら、
今から、誰かを侮辱する事をやめましょう。
今から、他者を否定する事をやめましょう。
今から、他者の気持ち、心を尊重し、想像し、受けとめましょう。
今から、違い、多様性を理解するよう努力しましょう。
世界の争いはいずれも、上記の事を疎かにした結果であると思うんです。
アレッポの少女に少しでも心動かされたなら、
今から、身近にいる人々に優しくしていきませんか。
日本の中で、価値観の多数派にいる人々には分かりづらいかもしれませんが、日本もある意味戦争状態なのです。
毎年3万人、いいえ11万人が死んでいるのです。
隠された真実:3万人どころじゃない!本当の自殺者数は18万人!? - NAVER まとめ
その中のひとりひとりが、アレッポの少女のように苦しみを感じていたんです。
あなたの学校の隣の席の子、会社の隣の席の同僚、道ですれ違った人、コンビニの店員さん、親兄弟姉妹や親族の中に、アレッポの少女がいる可能性は、ほぼ100%に近いのです。
彼/彼女らは社会から排斥されていると感じています。
しかし排斥しているのは社会という曖昧な概念ではないのです。
あなたを含め、人間ひとりひとりが社会をつくりだしているのです。
そして、あなたは今たまたま価値観の多数派かもしれません。生きやすいかもしれません。
しかしそれも5年、10年すれば容易に変わってしまうでしょう。
将来の自分を、殺さない為にも、多数な価値観を許容していきませんか?
それはきっと、新しい世界をあなたに見せ、あなた自身が生きやすい世の中につながっていくと思います。
この日本に於いて、人々の優しさと、他者への想像力が偏見をなくし、
万人が生きづらさを感じず、楽しく暮らす事ができる社会へと向かっていく事を祈ります。