ひつじコラム hitsujicolumn

京都に住むひつじ。音楽聴いて本読んで、ごはん食べて、寝る。

呉育ちの自分が「この世界の片隅に」を見に行って想ったこと

こんばんは。

 

この世界の片隅に」という映画をご存知でしょうか。

http://konosekai.jp

 

僕は先日見に行ってきました。

正直に言って、是非多くの方に見ていただきたい映画だと思いました。

 

僕は、僕自身が広島県呉生まれで、映画の舞台が呉だったので、知っている景色が出てくるかな、くらいの軽い気持ちで見に行きました。

ですが、こんなにもポップなアニメーションの絵柄から、こんなにも生々しい戦時中の風景と匂い、その中にある人々の優しさ、温もりを体験することができるとは思っていませんでした。

 

実際に、幾つも見覚えのある風景が出てきました。

灰が峰からの港の風景、瀬戸内の景色、見覚えのある名前の駅…などなど。

何より、主人公すずが作中で暮らす長ノ木町は、昔僕が育った場所からとても近い場所でした。

 

のんびりした可愛らしい少女すずが、周囲の人々に助けられながら微笑ましく育っていく過程に、物語序盤は和まされました。

しかし、人々は変わらずとも、空襲警報の音が戦争の色をだんだんと濃くしていきます。

そしてその中で、クラスター爆弾焼夷弾、原爆が使用される描写が出てきます。

クラスター爆弾のシーンでは、空中で爆発し、分裂した爆弾の欠片が次々と降ってくる場面があります。さっきまで食事の準備をしていた人々が、洗濯物をしていた人々が、絵を描いて遊んでいた子供達が、"クラスター爆弾の欠片一つ"で死ぬのです。手が、足がちぎれるのです。

僕はこのシーンを見て、言いようのない、心が燃えるかのような激しい怒りと悲しみを感じました。怒りの感情を自覚することは少ないので、僕自身驚きましたが、「日々の暮らしを、小さな幸せと共に楽しんで生きている人々が、唐突に死の危険に襲われること」それ自体に酷い恐怖と理不尽な悲しさを感じた為だと思います。

実際に、ついさっきまで目の前で笑い合って暮らしていた人々が、空襲警報一つを皮切りに、目の前で死んでいって、それでも"戦争はそういうものだ、仕方ない"と言える人がどれだけいるのでしょうか。

どうしてそんな事になるのでしょうか。

 

思うに、人間は自分との心的距離が離れれば離れるほど、その相手の気持ちに気付けなくなってしまうのだと思います。

第二次世界大戦中は、アメリカと日本の人々には、繋がりはほぼなかったことでしょう。

現代においても、アレッポなどの紛争地域で毎日人々が恐怖に怯えている、と言われても実感を持って感じることは難しいでしょう。

 

しかし、こういった戦時中の一人の少女の記事を読んだら、どうでしょう。

アレッポの少女バナ・アラベトさん、ツイッターを再開「攻撃が続いています。」」

http://m.huffpost.com/jp/entry/13445424

 

これまでよりも、かなり身近に、同じ一人の人間が「戦争」という状況の中にいるのだと感じることができるのではないでしょうか。

 


「不毛な文系理系論争から繋がる、現代日本の生きづらさ」
 http://hitsujicolumn.hatenablog.com/entry/2016/12/05/232641
 ▲こちらでもアレッポの少女について触れています。

 

 戦争をなくす為にはどうすればよいでしょうか。

戦争をなくすためには、人々が理解し合う必要があると考えます。

理解し合う、ということは、多様な価値観を認め話し合うことができる、ということです。

つまり、私たち一人ひとりが、他人を否定することをやめ、宗教、政治、思想、全てにおいて、「お前は間違っている」「常識的でない」などの否定を使うことをやめるべきだ、という事にも繋がると思います。

 

「起業家いしださんのインタビュー記事に力を貰った話」

http://hitsujicolumn.hatenablog.com/entry/2016/12/14/220000

 ▲こちらでも価値観の軋轢について触れています。

 

戦争の種は、私達にはどうすることもできないことではないのです。

日々の争いの種が育った結果なのです。

その事を少し意識して、日々を過ごして見て欲しいのです。意外なほど世界には"否定"が溢れている事に気付かれると思います。

その"否定"があらゆる争い、生きづらさ、世界の不幸に繋がっているのです。

 

目の前の人に思いやりを持って接することは、世界の争いを減らすことに繋がるのだと思います。

 挨拶をすること、ありがとうを言うこと、そういった事の積み重ねが、今後すずのような少女を生み出さないようにする、一つの手段なのだと思います。