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ひつじコラム hitsujicolumn

京都に住むひつじ。音楽聴いて本読んで、ごはん食べて、寝る。

メインブログ移転

hitsuji-wwjd.hatenablog.com

メインブログ移転しました。宜しくお願いします。

【お勧め音楽】オーロラの国/永原真夏+SUPER GOOD BAND

こんばんは。

今日はちょっと趣向を変えて音楽紹介します。(自分の1記事目を見返して思い出した。)

僕が良いと思うものを紹介するコーナー。

 

「オーロラの国/永原真夏+SUPER GOOD BAND」

https://youtu.be/aqKePGKczUE

 

この曲の何が素晴らしいって、永原真夏さん自身が自分のライブ映像で

「あなたが、あなたがた一人ひとりがこの世界に必要なんです。それを言いたくて作りました。」(要約)

と言っている曲だという事です。

永原真夏さんらしいポップで最高にポジティブな音と声に包まれていながらも、上に挙げた想いを伝えるために、聴く人一人ひとりに語りかけるかのような"語り"が多く入っています。

 

"どんなばかでもわかってる。心にうそはつけないこと"

自分にうそをつくのをやめて。もう苦しむのはやめよう。

"賢い君ならわかるでしょう。てきとうでも生きていける"

自分と闘うのはやめて、自分を痛めつけるのはやめて、

生きていれば、

"知りもしない誰かといつか、泣いたり笑ったりできるんだよ"

 

-新しい国をつくろう。

 

起業家いしださんのインタビュー記事に力を貰った話

こんにちは。

今日は、みなさんもおそらく一度は目にされたであろう、いしださんの話題です。

 

hares.jp

 

僕は、いしださんがブログで炎上される頃、ちょうど仕事を辞めようとしていたところだったこともあり、いしださんのブログに対する外野からのコメントに多少なり不愉快さを覚えたことを覚えています。

(その結果を予想できていないとしても)善意で批判的なコメントを書いていらっしゃる方も多くいましたが、かなりの数の人が、それこそ下記のゆうきゆうさんの漫画のように、自分自身への不満や怒りをぶつけるサンドバックを見つけたかのようにコメントしていると感じました。

yakb.net

 

大学で学ぶという環境は違うと思った、

今の会社で働き続けると精神的におかしくなると思った、

今の社会の多数派とは意見が合わなかった。

そういっただけのことで、こうも批判されるのか、というのが僕の正直な感想でした。

 

hitsujicolumn.hatenablog.com

 

上記の記事でも書きましたが、僕は、今の日本で最も取り組むべき課題のひとつは、

「他者の多様性に対する許容の精神」がほぼないことだと思います。

それどころか、「多様性を潰すこと」が娯楽として消費される風潮すらある。(最近の話題でいうと、性的マイノリティLGBTのものがありましたが…)

 

その点においてあまりにも社会成熟度が低いと思うのです。

他者の意見を簡単に否定できるということは、これまでの自分の生き方以外すべてを認めないということとほぼ同義で、あまりにも視野が狭いですし、自分が絶対正しいという浅慮な考えも透けて見えます。(たとえ本人がそこまで意識していなかったとしても。)

 

それに、人はみな何かしらの個性・多様性を持っているものです。

それら全てに寛容で、それぞれの個性を活かせる社会の方が、幸福度、文化成熟、創造性、すべてにおいて現状より優れてはいないでしょうか。

あなたも、好きなことをしているときに並外れた集中力や楽しさを感じたことはないでしょうか。

 

人間は本来、好きなことをして暮らしていいのです。

現在のように多様な生き方をできる世界であれば尚の事。

それなのに何故、独裁者でも看守でもない人々が、奴隷を叱責するように

「そんなことはお前には無理だ」

「非常識だな、そんなことではやっていけんぞ」

「牢(居づらいと本人が感じている環境)から出るな!」

というのでしょうか。

 

これらは、権力者が使いやすい労働力を確保するために行っていた奴隷(社畜)政策の延長戦上にあるものだと思います。自分で考えることを許さず、単純労働力として一生を過ごさせ、自分(権力者)の利益を貪る。

 

今はそんな時代ではないと思います。

私は、個人個人がどんな形態であれ、楽しく生きていることが巡り巡ってすべての人々の利益となると思います。

そのために使うべき言葉は、批判でしょうか、否定でしょうか。

 

多様性の肯定、相手の意見を受けとめた上での話し合い、が必要ではないでしょうか。

 

あなたは、価値観の多様性について、どう思われますでしょうか。

呉育ちの自分が「この世界の片隅に」を見に行って想ったこと

こんばんは。

 

この世界の片隅に」という映画をご存知でしょうか。

http://konosekai.jp

 

僕は先日見に行ってきました。

正直に言って、是非多くの方に見ていただきたい映画だと思いました。

 

僕は、僕自身が広島県呉生まれで、映画の舞台が呉だったので、知っている景色が出てくるかな、くらいの軽い気持ちで見に行きました。

ですが、こんなにもポップなアニメーションの絵柄から、こんなにも生々しい戦時中の風景と匂い、その中にある人々の優しさ、温もりを体験することができるとは思っていませんでした。

 

実際に、幾つも見覚えのある風景が出てきました。

灰が峰からの港の風景、瀬戸内の景色、見覚えのある名前の駅…などなど。

何より、主人公すずが作中で暮らす長ノ木町は、昔僕が育った場所からとても近い場所でした。

 

のんびりした可愛らしい少女すずが、周囲の人々に助けられながら微笑ましく育っていく過程に、物語序盤は和まされました。

しかし、人々は変わらずとも、空襲警報の音が戦争の色をだんだんと濃くしていきます。

そしてその中で、クラスター爆弾焼夷弾、原爆が使用される描写が出てきます。

クラスター爆弾のシーンでは、空中で爆発し、分裂した爆弾の欠片が次々と降ってくる場面があります。さっきまで食事の準備をしていた人々が、洗濯物をしていた人々が、絵を描いて遊んでいた子供達が、"クラスター爆弾の欠片一つ"で死ぬのです。手が、足がちぎれるのです。

僕はこのシーンを見て、言いようのない、心が燃えるかのような激しい怒りと悲しみを感じました。怒りの感情を自覚することは少ないので、僕自身驚きましたが、「日々の暮らしを、小さな幸せと共に楽しんで生きている人々が、唐突に死の危険に襲われること」それ自体に酷い恐怖と理不尽な悲しさを感じた為だと思います。

実際に、ついさっきまで目の前で笑い合って暮らしていた人々が、空襲警報一つを皮切りに、目の前で死んでいって、それでも"戦争はそういうものだ、仕方ない"と言える人がどれだけいるのでしょうか。

どうしてそんな事になるのでしょうか。

 

思うに、人間は自分との心的距離が離れれば離れるほど、その相手の気持ちに気付けなくなってしまうのだと思います。

第二次世界大戦中は、アメリカと日本の人々には、繋がりはほぼなかったことでしょう。

現代においても、アレッポなどの紛争地域で毎日人々が恐怖に怯えている、と言われても実感を持って感じることは難しいでしょう。

 

しかし、こういった戦時中の一人の少女の記事を読んだら、どうでしょう。

アレッポの少女バナ・アラベトさん、ツイッターを再開「攻撃が続いています。」」

http://m.huffpost.com/jp/entry/13445424

 

これまでよりも、かなり身近に、同じ一人の人間が「戦争」という状況の中にいるのだと感じることができるのではないでしょうか。

 


「不毛な文系理系論争から繋がる、現代日本の生きづらさ」
 http://hitsujicolumn.hatenablog.com/entry/2016/12/05/232641
 ▲こちらでもアレッポの少女について触れています。

 

 戦争をなくす為にはどうすればよいでしょうか。

戦争をなくすためには、人々が理解し合う必要があると考えます。

理解し合う、ということは、多様な価値観を認め話し合うことができる、ということです。

つまり、私たち一人ひとりが、他人を否定することをやめ、宗教、政治、思想、全てにおいて、「お前は間違っている」「常識的でない」などの否定を使うことをやめるべきだ、という事にも繋がると思います。

 

「起業家いしださんのインタビュー記事に力を貰った話」

http://hitsujicolumn.hatenablog.com/entry/2016/12/14/220000

 ▲こちらでも価値観の軋轢について触れています。

 

戦争の種は、私達にはどうすることもできないことではないのです。

日々の争いの種が育った結果なのです。

その事を少し意識して、日々を過ごして見て欲しいのです。意外なほど世界には"否定"が溢れている事に気付かれると思います。

その"否定"があらゆる争い、生きづらさ、世界の不幸に繋がっているのです。

 

目の前の人に思いやりを持って接することは、世界の争いを減らすことに繋がるのだと思います。

 挨拶をすること、ありがとうを言うこと、そういった事の積み重ねが、今後すずのような少女を生み出さないようにする、一つの手段なのだと思います。

 

 

日本人の宗教観

こんばんは。

あなたは宗教と聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか。

 

日本人は、祭り、初詣、お葬式、クリスマスなどを行いながらも、日常における宗教に対する自覚が少ないことに加え、オウムなどの新興宗教の記憶から、無条件に宗教を忌避しがちだと思います。

それは、宗教が「~~が正義だ」「~~を信じなければ地獄に落ちる」といったことを言い、こちらの意思に関係なく価値観を押し付けてくるものだ、という先入観があるからではないでしょうか。

もちろん、そういった信者もいることは事実ですが、そういった側面だけのものではありません。

 

私は、宗教における聖書、聖典は文学的歴史的な観点からも面白いものだと思いますし、これまでの人間の失敗や過ちを、”当時の人々の感情とともに”振り返ることができる貴重な資料だと思います。

また、定期的な礼拝や祭りごとの場は、繋がりの深いコミュニティをつくることになり、そこから元気をもらったり、ともに悲しんだり、相談しにくいことを相談したりすることができる場としての機能を持ちます。(人間同士のことなので、うまく機能せず諍いを生んでしまう事もあり得ますが。)

 

こういったコミュニティと、共通の話題としての聖書、聖典があるおかげで、何かしらの信仰を持つ人は、コミュニティから断絶することが少ないように思います。

そして、宗教でなくてもよいのですが、現代日本には、そういった類のコミュニティがあまりにも少なすぎると思うのです。

その事が、孤独死やうつの原因のひとつとなっているのではないかと思います。

 

日本における宗教的コミュニティは、信仰を持つことを強制しないというスタンスのもと、経済的、精神的余裕のない人、例えば生きづらさを感じている人などに居場所を与えることで、基本的にどの宗教も目指している「他者を尊重し、認め合い、協力し合うことのできる社会」の実現に取り組んでいくのが得策ではないか、と思う次第です。

そして、世界的にもそのようなエキュメニカルな動きは活発になってきているのではないか、と感じます。

 

・宗派、宗教を超えていくコミュニティの例

Taize(テゼ)

聖公会カトリックプロテスタントの橋渡し的宗派)

不毛な文系理系論争から繋がる、現代日本の生きづらさ

こんばんは。

人生の夏休みを、体力回復に費やしてる京都のひつじです。

年内は割とゆっくりしたいな…。

 

今回は、友人のツイートを見て感じた、文系理系論争の不毛さについて考えたいなと思います。

 

その友人のツイートというのは、おおまかに「文学は、作品に触れることを通じて"違い"や"他者"を疑似体験し、許容し尊重できるようにするものだ」というようなものでした。

それを読んで、たしかに、「技術は目に見える生きやすさをつくり、思想は目に見えない生きやすさをつくること」を目標にしているな、と思いました。

 

下記の記事にもあるのですが、日本人は、"思想"の教養が少ないのかもしれないなと感じています。言い換えるなら、他者の多様性への理解力が低い。

t.co

 

もちろん、全ての人がそうであると言うつもりはないです。

けれど、いわゆる普通の社会のレールから外れた人は、様々な場面で排斥されていることは、事実としてあると思います。

納税してなければ社会で生きる価値がない、なんて平気で言う人がいる世の中って、どうかしてませんか?

その、今現在納税していない人が、今後重要な社会課題に取り組む人になるかもしれません。また、そんな大それた事でなくとも、その人が生きていく事で、近くにいる人に喜びを与える存在になれるかもしれません。

 

私は、最も価値あることは、自分自身に(無条件で)価値があると信じた上で、周りの人(他者)が喜ぶように取り組むことだと思います。

その論理でいくと、「おまえには価値がない」と何の躊躇いもなく他者に言える人は、僕の価値観の中では最も価値の低い人のひとりになると思います。

 

何より、他者にそのように言う人は、自分に無条件で価値がある、と信じることができない人なのではないでしょうか。

自分が出来ている事で、他者が出来ていない事に目をつけ、そこを批判する事で、自分に価値があるはずだと言い聞かせている。

(その目的に反して、自分の価値を貶めていると僕は思いますが…。)

 

何にせよ、理想的なのは「可能な限り多くの人が、充実感、幸福感を持って暮らすこと」であり、目的は決して「納税すること」でも「生きるために他者を傷つけることが必要とされる社会にすること」でもないと思うのです。

 

 

 

 こんな少女がいます。

この少女のツイッターは、現在削除され、どうなっているかはわかりません。

www.buzzfeed.com

 

戦争に巻き込まれている国は大変だな、と思われますか?

この少女を助けられるものなら助けたいと思われますか?

 

もし、そう思われるのでしたら、

今から、誰かを侮辱する事をやめましょう。

今から、他者を否定する事をやめましょう。

今から、他者の気持ち、心を尊重し、想像し、受けとめましょう。

今から、違い、多様性を理解するよう努力しましょう。

 

世界の争いはいずれも、上記の事を疎かにした結果であると思うんです。

 

アレッポの少女に少しでも心動かされたなら、

今から、身近にいる人々に優しくしていきませんか。

日本の中で、価値観の多数派にいる人々には分かりづらいかもしれませんが、日本もある意味戦争状態なのです。

毎年3万人、いいえ11万人が死んでいるのです。

隠された真実:3万人どころじゃない!本当の自殺者数は18万人!? - NAVER まとめ

 

その中のひとりひとりが、アレッポの少女のように苦しみを感じていたんです。

あなたの学校の隣の席の子、会社の隣の席の同僚、道ですれ違った人、コンビニの店員さん、親兄弟姉妹や親族の中に、アレッポの少女がいる可能性は、ほぼ100%に近いのです。

彼/彼女らは社会から排斥されていると感じています。

しかし排斥しているのは社会という曖昧な概念ではないのです。

あなたを含め、人間ひとりひとりが社会をつくりだしているのです。

そして、あなたは今たまたま価値観の多数派かもしれません。生きやすいかもしれません。

しかしそれも5年、10年すれば容易に変わってしまうでしょう。

将来の自分を、殺さない為にも、多数な価値観を許容していきませんか?

それはきっと、新しい世界をあなたに見せ、あなた自身が生きやすい世の中につながっていくと思います。

 

この日本に於いて、人々の優しさと、他者への想像力が偏見をなくし、

万人が生きづらさを感じず、楽しく暮らす事ができる社会へと向かっていく事を祈ります。

日本仕事百貨という新世代向け求人サイト

あなたは、このサイトを見たことがあるでしょうか。

 

shigoto100.com

 

「日本仕事百貨」という、求人サイトです。

 

僕は、今のところ利用の予定はないのですが、

このサイトは既存のいわゆるリクナビマイナビなどとは全く異なるものです。

 

お金やモノの価値が絶対的でなくなり、体験や繋がりを重視する人々が増えてきた現代、こういった求人サイトがもっともっと増えてきてよいのではないかと思います。

 

実際、僕はこの記事にはかなり心惹かれました。

大切なもののありか « 日本仕事百貨

 

個人の意見ですが、僕は、お金や結婚、家庭を持つこと、家・車を持つことにさして大きな価値を感じません。

それよりも、人と人が尊重し合うことのできる繋がりや、うつや子供の貧困といった社会課題に取り組むこと、心に余裕を持つこと、美しいものに心を留めること、などに価値を感じます。

そういった人は、僕の周りでも多くいる印象を持っていますが、社会では未だ少数派であり、抑圧されているように思います。

しかしまた、そういった人たちがどんどんと増えてきていることも感じています。

 

その中にあって、「日本仕事百貨」のような、想い、繋がり、を大切に考えているような求人サイトはもっと増えていくべきじゃないか、と思いました。

 

何より、見ているだけでも楽しいです!

是非一度ご覧になってみてください。新しい世界、新しい価値観が垣間見えるかもしれません。

 

PS.

日本仕事百貨ほど革新的ではないですが、

「Wantedly」

www.wantedly.com

「Drive キャリア」(NPOなどに特化した求人サイト)

drive.media

も面白い求人サイトだと思います。

ご興味があればぜひ。